バルセロナ発、渋谷ストリームの米が今夜も焦げる――「本物のパエリア」を木製スプーンで削ぎ落とす贅沢
xiringuito escriba 渋谷の扉をくぐると、まず鼻腔を直撃するのは濃厚な甲殻類のエキスが直火のパエリア鍋で凝縮される香ばしさだ。鉄板の熱気が肌をかすめ、フロアを往来するスタッフの手元には湯気を上げる大鍋が踊る。再開発が一段落し、大人の街としての落ち着きを取り戻しつつある2026年の渋谷。その中心に位置する渋谷ストリーム3階で、連夜満席の賑わいを維持し続けるこの場所には、観光客向けの記号化されたスペイン料理とは決定的に異なる「現地バルセロナのリアル」が息づいている。
オープンから年月が経過した今も、ふとした週末の夜に立ち寄ればカウンターの熱気に圧倒される。バルセロナ・ボガテル海岸で1992年に創業した伝説のシーフードレストランのDNAを継ぐxiringuito escriba 渋谷は、流行り廃りの激しいこの街において、もはや一過性のトレンド店ではない。魚介出汁の深み、米の硬さ、そして一口ごとに広がる地中海の記憶を求めて、舌の肥えたフードラバーが引き寄せられる確固たるデスティネーションになっている。
地中海の風がスクランブルの喧騒を消し去る瞬間
渋谷駅の地下鉄出口から直結のエスカレーターを上がり、渋谷ストリームの3階へと抜ける。若者たちの騒々しいスクランブル交差点からわずか数百メートルの距離でありながら、この一角にはどこか乾いたヨーロッパの海風を想起させる開放感が漂う。
店内は広々としたオープンキッチンを中心に設計され、ブルーを基調とした爽やかなマリンテイストの内装が広がる。ガラス越しに見えるのは、調理台にずらりと並ぶ巨大なパエリア鍋。シェフたちが無駄のない動きで火力を操り、スープを注ぎ、米の状態をミリ単位で見極めている。喧騒が心地よいリズムへと変換されるこの空間では、誰もが肩肘張らずにワイングラスを傾けている。
木製スプーンで直喰いする“薄層”パエリアの掟
この店を訪れたなら、皿に取り分けて上品に食べるという固定観念は一度捨てるべきだ。エスクリバ最大のアイデンティティは、職人が削り出した特製の木製スプーンを使い、浅いパエリア鍋から直接米をすくい取るスタイルにある。
米は鍋の底に1粒、せいぜい2粒分ほどの極めて薄い層として炊き上げられている。水分を完全に飛ばし、スープの旨味を米粒の中心まで閉じ込めるバルセロナ流の手法だ。スプーンの先で鍋肌を優しくこすると、カリッと香ばしいおこげ――現地で「ソカラット(Socarrat)」と呼ばれる至高の部位が心地よい音を立てて剥がれる。金属のスプーンを使わないのは、鍋を傷つけないためだけでなく、米本来の繊細な風味を金気で邪魔しないための配慮だ。
17分間の火入れが生む、濃厚魚介出汁のグラデーション
名物の「エスクリバ パエリア」を一口含んだ瞬間、誰もが言葉を失う。舌先に乗るのは単なる塩気ではない。エビ、アサリ、白身魚の骨、香味野菜を寸胴で何時間も煮詰めて抽出した、濃密極まりない出汁の重層的なパンチだ。
オーダーが入ってから米を炊き上げるまで約17分。強火で一気に沸騰させ、中火で旨味を吸わせ、最後に強火で鍋底を焼き付ける。短時間で仕上げられるパエリアの米は、芯がわずかに残る絶妙なアルデンテ。炊き込みご飯のようにふっくら柔らかい日本の一般的なパエリアとは根本的に異なる。噛みしめるたびに弾ける米粒から、甲殻類の芳醇なアロマが鼻腔へと突き抜けていく快感は、一度知ってしまうと後戻りができない。
サングリアの概念を覆すフルーツとカヴァの饗宴
料理の脇を固めるドリンクの完成度も見逃せない。特に人気を集める「カヴァ・サングリア」は、一般的な甘ったるい赤ワインベースのそれとは一線を画している。スペイン産の辛口スパークリングワイン「カヴァ」に、旬の柑橘類やベリー類、リキュールを合わせたオリジナルレシピだ。
グラスから立ち上るキリッとした炭酸の泡が、パエリアの濃厚な油分を鮮やかにリセットする。白サングリアの爽やかさ、ハーブを効かせた自家製カクテル、そしてカタルーニャ地方のナチュラルワインまで、料理との相性を計算し尽くしたラインナップが揃う。ボトルを開けながらアヒージョをつまみ、パエリアの炊き上がりを待つ時間こそ、このバルで過ごす醍醐味だ。
席選びで変わる体験――テラスの開放感か、キッチンの熱狂か
予約時に意識したいのが、どのエリアに腰を落ち着けるかという選択だ。渋谷川沿いに面した窓側の席やテラス席は、夕暮れ時から夜にかけてのロケーションが抜群で、渋谷の夜景とストリートの空気を感じながらゆっくりと会話を楽しみたい夜に向いている。
一方で、料理好きなら間違いなくオープンキッチン前のカウンター席を狙うべきだ。炎が立ち上るコンロ、手際よくパエリアを仕上げる料理人の集中力、次々と運ばれていくピンチョスやイベリコ豚の生ハム。ライブ感あふれる音と熱気は、どんなスパイスよりも食欲を刺激する。同じ料理を口にしても、選ぶシートによって記憶に残る風景はまったく異なるものになるはずだ。
2026年の渋谷で問われる「本物」と日常のラグジュアリー
デジタル技術やファストな情報が街を覆い尽くす2026年だからこそ、鍋肌から立ち上る煙や、米を噛み締める歯ごたえといったフィジカルな食体験の価値が際立つ。手軽にそれらしい味覚を再現できる時代に、あえて手間のかかる出汁を取り、現地と同じ火加減と木製スプーンにこだわる姿勢が、この場所に人を惹きつけてやまない理由だ。
カジュアルな価格帯でありながら、体験としての純度は極めて高い。仕事終わりの同僚との乾杯にも、特別な相手との週末ディナーにも、過度な気取りなしで極上の時間を約束してくれる。熱々の鉄鍋を囲み、誰かとスプーンを交わす――そんな人間らしい原初の歓びが、この渋谷の片隅で今日も香ばしく弾けている。 (出典: xiringuito escriba 渋谷(Yahoo!ニュース))