広島人が「あえて自分で焼く」熱気の正体——お好み王国の異色老舗『徳川』が2026年に放つ引力
お好み焼き 徳川 広島の暖簾をくぐると、立ち上るソースの焦げた芳香とともに、小気味よいヘラの金属音が耳を打つ。キャベツと中華麺を幾重にも積み上げる「重ね焼き」こそが至高の正義とされるこの街で、ボウルに入った具材と生地を豪快にかき混ぜ、客自らが鉄板へ落とす関西風スタイルを掲げて60年余り。県外の人間が抱く「広島=広島焼き一色」というステレオタイプは、この店の一歩奥へ踏み込んだ瞬間、心地よく瓦解する。
八丁堀の雑踏から郊外のバイパス沿いまで、週末のお好み焼き 徳川 広島には家族連れや学生、さらには仕事帰りの常連がひっきりなしに吸い込まれていく。職人の手さばきをカウンター越しに眺める名店巡りもいい。だが、ジュウと音を立てる鉄板を囲み、誰が返すかで笑い転げる時間は、外食以上の手触りを残す。なぜこの街で、混ぜ焼きのセルフスタイルが半世紀を超えて愛され続けるのか。鉄板の熱気の向こう側に、広島人の知られざる日常の深層が見えてくる。
「広島なのに自分で焼く?」常識を覆し続ける異色チェーンの原点
創業は1964年。東京五輪の熱気に日本中が包まれていた年、広島の地に「徳川」は産声を上げた。当時すでに市内には、戦後の屋台から発展した重ね焼きの店が無数にひしめき合っていた。その真ん中で、あえて客にヘラを握らせる関西風のセルフクッキングを持ち込むのは、無謀とも言える賭けだったに違いない。
勝算はどこにあったのか。それは「団らんの演出」という一点に尽きる。プロの職人が完璧に焼き上げた一枚を無言で平らげるのではなく、家族や仲間が卓上の鉄板を囲み、形が崩れたと笑い、火加減に一喜一憂する。食事を「共同作業」へと変えた徳川のシステムは、核家族化が進む当時の住宅事情とも合致し、瞬く間に広島の家庭のサードプレイスとして定着していった。
家康から慶喜まで——なぜ歴代将軍の名がメニューに並ぶのか
徳川の品書きを開いて誰もが二度見するのが、ずらりと並んだ江戸幕府の将軍たちだ。「徳川家康」「徳川秀忠」「徳川家光」——注文票に歴史上の権力者の名前が飛び交う光景は、もはやこの店の代名詞と言っていい。
豚肉、エビ、イカが入った定番ミックスが「家康」であるように、具材の組み合わせやボリュームによって将軍の位が割り振られている。なぜ徳川将軍なのか。諸説あるが、創業者が「天下泰平の世を築いた徳川一族のように、平和で豊かな食卓を届けたい」という願いを込めたのが始まりと伝えられる。現代の若者にとっても、このメニュー構成は格好のネタだ。「今日は財布が温かいから吉宗で行こう」「いや、手堅く家康で」といった会話が、今夜も市内のあちこちのボックス席で交わされている。
インバウンド熱風と「体験型グルメ」の波:2026年の鉄板前で何が起きているか
平和記念公園や宮島を目指して世界中から旅行者が押し寄せる2026年、徳川の客席には目に見えて外国人の姿が増えた。だが、彼らの目当ては有名ガイドブックに載る行列店とは少し毛色が違う。求めているのは「食べる」こと以上に「作る体験」そのものだ。
器の中で空気を抱き込ませるように生地をリズミカルに混ぜ、熱い鉄板に円形に広げる。砂時計を睨みながら、意を決して二丁のヘラで一気にひっくり返す。成功すれば歓声が上がり、失敗して形が崩れれば苦笑いが広がる。SNSのショート動画時代において、この一連のプロセスは極上のエンターテインメントとして消費されている。英語や中国語のイラスト付き焼き方ガイドを真剣な表情で見つめるバックパッカーの姿は、いまや徳川の日常的な風景となった。
原材料高騰の荒波をどう越えるか——キャベツと卵の2026年クライシス
もっとも、のどかな団らんの裏側では、飲食店を巡る環境の厳しさが影を落としている。異常気象の常態化によるキャベツの価格乱高下、飼料代高騰に伴う鶏卵のコスト増、そして電気・ガス代の上昇。日常食としての「安さ」と「気軽さ」を生命線にしてきた大衆チェーンにとって、2020年代半ばから続く原材料危機はボディブローのように効いている。
それでも徳川は、安易なサイズダウンや極端な値上げに踏み切ることを頑なに避けてきた。契約農家との直接連携を強め、キャベツの芯まで甘みを引き出す刻み方を追求するなど、現場の工夫で歩留まりを改善。庶民の味覚を守る戦いは、華やかな話題の陰で静かに、泥臭く続けられている。
地元民の原風景「CMソングを歌えるか」で測る広島ネイティブ度
広島出身者かどうかを一瞬で見分ける踏み絵がある。「東風吹かば〜」と振られて、即座に続きを口ずさめるかどうかだ。平安時代の菅原道真の和歌を引用し、最後は軽快な店舗コールで締めくくるあのCMソングは、何十年もの間、地元テレビ局の夕方アニメやローカル番組の合間に流され続けてきた。
「物心ついた頃から耳に染み付いていて、和歌の意味より先に徳川の看板が頭に浮かんだ」と笑う広島市民は少なくない。東京や大阪に進学・就職した若者が、帰省のたびに徳川へ足を運ぶのは、単に粉ものが恋しいからではない。鉄板の匂いとあのメロディが、自らのルーツを無条件に呼び覚ますからだ。
広島焼きの聖地で生き残り、愛され続けるハイブリッドの哲学
重ね焼きの広島風と、混ぜ焼きの関西風。かつてネット上で過激に交わされた「どちらが本物か」という不毛な論争を、徳川の空間はあっさりと無力化してしまう。実のところ、徳川のメニューには広島風の重ね焼きもきちんと用意されており、卓上で両方を焼き分ける猛者すら珍しくない。
どちらが上か、ではない。大切なのは、目の前にある鉄板の温もりであり、ヘラを交わし合う人間同士の距離感だ。食の多様性が叫ばれる時代、広島の街で揺るぎない居場所を保ち続ける徳川の姿は、ローカルフードの本質が「形式」ではなく「場がもたらす熱狂」にあることを、静かに物語っている。 (出典: お好み焼き 徳川 広島(Yahoo!ニュース))