お正月の歌「もういくつねると」に隠された真実と2番の歌詞の謎
年末が近づくと、街の喧騒や商業施設、幼稚園・保育園の教室から自然と流れてくる国民的童謡『お正月』。「もういくつねると おしょうがつ」という親しみやすい歌い出しは、世代を超えて日本人の心に刻まれています。しかし、この歌が明治時代にどのような経緯で誕生し、なぜこれほどまでに子どもの心を捉え続けているのか、その背景を知る人は決して多くありません。
教科書や歌集で広く親しまれている一方で、大人になってから「実は2番の歌詞をよく知らない」「なぜ男の子と女の子で遊びが分かれているのか」と疑問を抱く声も少なくありません。音楽教育の夜明けを支えた若き天才作曲家・滝廉太郎と、日本初の幼児教育現場で言葉を紡いだ作詞家・東くめの情熱、そして歌詞に込められた民俗学的な意味までを徹底検証します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:童謡『お正月』は1901年(明治34年)に発表された日本初の言文一致による口語体幼児唱歌であり、日本の音楽教育史における金字塔である。
- 要点2:1番(凧揚げ・独楽)と2番(手毬・羽根つき)には、単なる子どもの遊びにとどまらない無病息災や成長を願う民俗学的な意味が込められている。
- 要点3:保育現場や家庭において2番が歌われにくくなった背景には、遊具の生活離れや幼児教育のカリキュラム変化といった構造的要因が存在する。
【歴史的背景】名曲『お正月』の誕生秘話|滝廉太郎と東くめが起こした音楽革命
私たちが当たり前のように口ずさむ『お正月』は、1901年(明治34年)7月に共益商社から出版された『幼稚園唱歌』に収録された楽曲です。作詞を手がけたのは東くめ、作曲を担当したのは当時東京音楽学校(現・東京藝術大学)の助教授を務めていた滝廉太郎でした。
当時の日本における学校音楽教育は、明治政府が主導した文部省唱歌が中心でした。しかし、それらの多くは欧米の民謡に無理やり日本語の歌詞を当てはめたものや、難解な漢語・文語体で書かれた硬い教訓歌ばかりでした。子どもたちが日常で使う話し言葉とはかけ離れており、幼い幼児が情緒豊かに歌える作品は皆無に等しい状況だったのです。
この状況に強い危機感を抱いていたのが、東京女子高等師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)で保母(現在の幼稚園教諭)を務めていた東くめでした。くめは「幼い子どもたちが心から喜び、日常の生活感情をそのまま表現できる歌を作りたい」と決意します。その志に共鳴したのが、同じく西洋音楽の模倣から脱却し、日本語の抑揚に美しく寄り添う旋律を模索していた20代前半の滝廉太郎でした。
二人の共同作業によって生まれた『お正月』は、子どもが日常で使う「口語体(言文一致)」で書かれた日本最初のオリジナル童謡群の一つとなりました。西洋音楽の長調の明るさを持ちながら、日本古来の五音音階の情緒を巧みに融合させた滝廉太郎の旋律は、瞬く間に全国の幼児教育現場へと広がっていきました。

歌詞に隠された意味と謎|なぜ「もういくつ寝ると」と数えるのか?
『お正月』の歌詞は、子どもの純粋な待ち望む感情を極めて簡潔かつ鮮明に描いています。全貌を改めて確認すると、1番と2番で対比構造が取られていることが分かります。
【1番 歌詞】
もういくつねると おしょうがつ
お正月には 凧(たこ)あげて
こまをまわして 遊びましょう
はやくこいこい お正月
【2番 歌詞】
もういくつねると おしょうがつ
お正月には まりついて
おいばね(追羽根)ついて 遊びましょう
はやくこいこい お正月
ここで多くの人が疑問を抱くのが、「なぜ日数を『寝ると』と表現するのか」という点です。大人の暦の感覚であれば「あと〇日」と計算しますが、時間の概念がまだ未発達な幼少期の子どもにとって、一日の区切りは「夜眠り、朝起きること」に他なりません。「一晩寝れば、それだけお正月に近づく」という直感的な時間認識を、東くめは見事な観察眼で言語化しています。
さらに民俗学的な視点からも重要な意味を持ちます。古来の日本において、正月は単なる暦の始まりではなく、山や天から「年神様(歳神様)」を家庭にお迎えし、新しい年の生命力を授かる神聖な儀礼でした。大人たちが煤払い(大掃除)や門松・しめ飾りの準備に追われる中、子どもたちは日ごとに高まる特別な空気感を肌で感じ取り、胸を高鳴らせていたのです。
【文化検証】正月遊びに込められた厄除けと祈り|1番と2番の徹底比較
歌詞に登場する4つの正月遊び(凧揚げ、独楽回し、手毬つき、羽根つき)は、明治期における単なるレクリエーションではありませんでした。それぞれの遊具や動作には、子どもの健康と無事な成長を願う呪術的・民俗的な祈りが込められていた歴史があります。
| 歌詞の該当 | 伝統的な正月遊び | 象徴される意味と由来 | 現代における実態と評価 |
|---|---|---|---|
| 1番(主に男児) | 凧揚げ(たこあげ) | 天高く揚がるほど願いが神に届き、元気に育つ。運気上昇・立身出世。 | 電線や敷地の制限から都市部での実施率は激減。イベント等で残存。 |
| 1番(主に男児) | 独楽回し(こままわし) | 物事が円滑に「回る」、頭の回転が良くなる。自立と繁栄の祈願。 | 木製独楽から現代玩具(ベイブレード等)へ進化しつつも園の伝承遊びで定番。 |
| 2番(主に女児) | まりつき(手毬) | 丸く円満に育つように。新春のリズム遊び、技量の向上。 | ゴムボール遊びに移行し、手毬そのものを家庭で突く光景は稀少化。 |
| 2番(主に女児) | 追い羽根(羽根つき) | 無患子(むくろじ)の種で病魔を退散。蚊に刺されず病気にかからない厄払い。 | 羽子板は観賞用・縁起物工芸品としての需要が主流化。実用機会は減少。 |
明治時代の家庭環境において、1番は屋外で元気に遊ぶ男の子の情景を、2番は庭先や座敷で遊ぶ女の子の情景をそれぞれ描き出していました。特に羽根つきで使われる羽根の玉には「無患子(子が患わない)」という大木の実が使われており、病弱だった時代の子どもたちを守る親の切実な祈りが込められていたのです。

【実態検証】なぜ幼稚園や保育園で「2番の歌詞」が消えつつあるのか?
インターネット上のQ&AサイトやSNSでは、「子どもの頃、1番しか歌った記憶がない」「2番の歌詞を大人になって初めて知った」という投稿が毎年正月前後に多数寄せられます。全国の幼稚園・保育園において、なぜ2番の歌唱頻度が低下しているのか、その背景には複数の現実的な要因が存在します。
第1に、生活様式と遊具の完全な変化です。凧や独楽は園の行事や製作カリキュラムとして今なお取り入れられる機会がありますが、本物の手毬や羽子板を日常的に体験できる園は極めて少数派です。子どもにとって実物を目にしたことがない「おいばね」「まり」という言葉は情景を想像しにくく、指導する教育現場でも説明に時間を要するという実情があります。
第2に、朝の会や音楽指導における時間配分の問題です。12月の保育現場は生活発表会やクリスマス会、年末の片付けなどが重なる過密スケジュールです。短時間で集中して季節感を味わわせるため、最も馴染み深い1番のみを繰り返して歌う指導法が定着した結果、2番が自然とフェードアウトしていったという現場教諭の証言も多く見られます。
さらに一部の教育評論からは、1番が男児、2番が女児という固定的な性別役割分担(ジェンダーロール)を意識させないよう配慮した結果ではないかという指摘もあります。しかし現場の主眼は思想的な排除ではなく、子どもの生活実感に寄り添うという極めて実用的な理由によるものです。
一般に知られていない盲点とネットの誤解
童謡『お正月』を取り巻く言説の中には、事実と異なる都市伝説や誤解が散見されます。正しい理解のために、代表的な3つのポイントを整理します。
誤解①:「お正月が来ると一つ年を取るから喜んでいる」という解釈
かつて日本が「数え年」を採用していた時代、元旦を迎えると全員が一斉に一つ歳を取りました。そのため「早くお兄さん・お姉さんになりたいからお正月を待っている」という解説がされることがあります。しかし、東くめ自身が残した記録や作詞の意図を紐解くと、制度上の年齢加算よりも、お正月にしか食べられないご馳走(お雑煮など)や、普段は買ってもらえない特別な玩具で遊べる純粋な喜びを描くことに注力されていました。
誤解②:「滝廉太郎の『お正月』と『一月一日』の混同」
お正月の代表曲として、同じく明治期に作られた唱歌『一月一日(年の初めと なりぬれば)』があります。厳かな式典の雰囲気を持つ『一月一日』(千家尊福作詞・上真行作曲)と、庶民の子どもの日常を描いた『お正月』は全くの別物です。前者は学校儀式用、後者は生活感情に寄り添う幼稚園用として棲み分けられていました。
誤解③:「12月中に『お正月』を歌うのはマナー違反?」
「歌詞が『早く来い来い』と歌っているのだから、元旦を過ぎたら歌ってはいけない」「12月のいつから歌うべきか」といった議論がネット上で展開されることがあります。音楽教育上、この曲は12月中旬から大晦日にかけての期待感を高める歌として歌うのが最も情緒に合致します。元旦を迎えた後は、新年の到来を喜ぶ『一月一日』や『春の海』へと歌い継ぐのが自然な流れです。
【プロの結論】伝統の童謡を令和の家庭・教育現場でどう活かすべきか
明治期に誕生した『お正月』という楽曲は、単なる過去のノスタルジーではなく、子どもの「待つ力(期待感)」と「季節の身体感覚」を育む優れた教育ツールです。現代においてこの歌を取り入れる際の判断基準を提示します。
向いている活用法(積極的に取り入れたい場面):
12月中旬から年末にかけて、大掃除や正月準備と連動させて家庭や園で歌うことです。日めくりカレンダーを見ながら「あと何回寝たらお正月かな?」と言葉を交わすことで、幼児はカレンダーの概念や時間の経過を身体的に理解できます。また、2番の歌詞に出てくる「羽根つき」「まりつき」を絵本や動画で視覚的に見せ、日本の伝統風俗を知る知的好奇心のきっかけにするアプローチは極めて有効です。
慎重になるべき場面(避けるべき指導):
歌詞の古風な言葉遣いを無理やり暗記させたり、現代の遊び(ゲームやスマートフォン)を否定して昔の遊びを強制したりするアプローチは逆効果です。東くめと滝廉太郎が目指したのは、当時の「子どものありのままの生活」を肯定することでした。現代の生活に引き寄せながら、楽しさを共有する姿勢が最も本質に適っています。

正月ソングの決定版一覧|時代とジャンルで見る日本の新春音楽
日本の新春を彩る音楽は、『お正月』だけではありません。日本の伝統音楽から大衆歌謡まで、正月に欠かせない定番楽曲の立ち位置を俯瞰します。
1. 式典・唱歌系:『一月一日』(1893年)
「年の初めの 例(ためし)とて」で始まる、格調高い文部省唱歌。元旦の公式行事や初売りなどで重厚な新春の幕開けを告げる楽曲として機能しています。
2. 伝統邦楽系:『春の海』(1929年)
宮城道雄が作曲した尺八と箏による名曲。正月のテレビ番組や商業施設のBGMとして圧倒的なシェアを誇り、日本人の潜在意識に「正月の情景」を想起させる決定打となっています。
3. 伝承・童謡系:『たこのうた』(1912年)
「百田(ひゃくだ)あげあげ 天まであがれ」と歌う文部省唱歌。『お正月』の1番で描かれた凧揚げの楽しさを、より躍動感あるメロディで独立させた楽曲です。
【お正月 の 歌】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:『お正月』の作詞者である東くめは、他にどんな童謡を作りましたか?
A1:東くめは滝廉太郎とのコンビで、『鳩ぽっぽ(ぽっぽっぽ はとぽっぽ…とは別の元祖楽曲)』や『雪やこんこ(雪合戦の歌)』など、日本初の口語体童謡を数多く世に送り出しました。彼女は日本の幼児教育における口語童謡の母と称されています。
Q2:歌詞に出てくる「おいばね(追羽根)」とは具体的にどういう遊びですか?
A2:羽子板を使い、2人で向かい合って羽根を打ち合う伝統的な遊びです。羽根を落とすと顔に墨を塗られるルールが有名で、互いに打ち合って落とさないようにラリーを続けることが無病息災につながると信じられていました。
Q3:なぜ1番は男の子、2番は女の子の遊びに分かれているのですか?
A3:明治30年代の社会風俗や家庭環境を忠実に反映したためです。当時の幼児教育現場において、園児たちが実際に夢中になっていた遊びをそのまま歌詞に落とし込んだ結果、当時の生活実態に合わせた構成となりました。
Q4:『お正月』の歌はいつ歌うのが一番適していますか?
A4:12月中旬から12月31日の大晦日までが最適な歌唱時期です。「もういくつ寝ると」という未来への期待を歌っているため、元旦を迎えるまでのカウントダウン期間に歌うことで、季節の移り変わりを最も情緒豊かに体感できます。
まとめ:名曲が語り継ぐ日本の原風景とこれからの楽しみ方
明治34年に滝廉太郎と東くめの情熱から誕生した『お正月』は、難解な文語唱歌が支配していた時代に、子どもの等身大の笑顔と言葉を取り戻した音楽史上の大転換点でした。
1番の凧揚げや独楽、2番のまりつきや羽根つきの描写には、単なる遊びの記録を超えて、子どもたちの健やかな成長と幸福を願う切実な祈りが宿っています。現代において2番を歌う機会が減少しつつあるからこそ、その歌詞に込められた歴史や文化的な意味を大人が理解し、次の世代へ語り継ぐことには大きな価値があります。
年末の慌ただしい日々の合間、子どもたちと一緒に「もういくつ寝ると」と指折り数えながら、120年以上歌い継がれてきた名曲の響きに耳を傾けてみてはいかがでしょうか。 (出典: お正月 の 歌(Yahoo!ニュース))